バイリンガル子育てを終えて。
私がバリ島に移住したのはセガレが小学校に上がるタイミング、それまでは日本で育てています。
今日は、小学校1年生から高校3年生まで海外のインターナショナルスクールに通った彼に
2歳半から(日本で)与えた環境についてを記します。
もう20年以上も前の話になるので今とは色々違うと思うけど、
将来、子供をバイリンガル、トリリンガルに育てたいと考えている親御さんの参考になれば嬉しいです。
話は恐ろしく遡りおよそ50年前、、
私が物心ついた頃、テレビに出ていたハーフ子役タレントのキャロライン洋子ちゃんが衝撃的に可愛くて可愛くて
(知らない方がほとんどだと思うのでググって下さい。元祖ハーフ子役です。)
知らない言語と知らない人種の存在にどれほどドキドキした事か。
その時から執拗にバイリンガルにこだわる様に。
そこで私自身に対する諦めが異常に早かったのは、おそらく”あの顔にはなれない”から、
”来世こそ、いや自分の子供に託そう”と見切ったから。
1995年セガレが生まれた頃にはまだネット環境などというものは無く、
とりあえず英語圏の知育おもちゃやセサミストリートのグッズを国際電話とファックスで個人輸入したりして。
でも本気で取り組みだしたのはセガレがカタコトを話し出してから。
まずアメリカ人とイギリス人の家庭教師(ほぼシッター)を付けた。
それは外人を見ても怯まない度胸と、日本語以外にも言語があるという認識を持たせたかったから。
家に来てもらって一緒に遊んだり食事をしたり、ピアノを弾いてもらったり、遊ぶだけ。教材的なものは無し。
アメリカ人は上智大学の交換留学生、黒人。アルバイトを探している学生を探して、
イギリス人は近所の英会話教室の先生、青い目。その教室に行って出張をお願いした。
3歳から近所のシェーンイングリッシュスクールも入会可になったのでそこにも(親子で)入会。これは複数人の外人の中での主張力、度胸しかり。
まあ度胸ばっかりなんだけど、大人になってからのセガレ談も
『確かに、何色の人を見ても躊躇が無かった。』なので、これはある種の正解だったと思っている。
という訳で、第一歩は、”単語を教える”では無く、”外人との接触”と”異言語の存在の認識”。
日本人にありがちな、でかい白人に早口の英語をまくし立てられるだけで軽くパニック、冷静に聞けば分かる事も耳に入らない。(↑これは20代前半に各国を放浪した私の苦い思い出なんだけど、、)
そうならない様にチビのうちから擦り込んだのでした。
会話そのものは、日本語を理解する様になる頃(小学生)からでも充分”出来ない発音は無い子”になると思います。
永久歯が生え揃うまでは口内も柔軟(自論)!
とりあえず日本語が完璧じゃなかったら”バイリンガル”も成立しないしね。
2022年の現代、小さな子と遊んでくれる程度の家庭教師やスクールも増えていて、どこでも無料トライアルがあるので、まずお試しするのがオススメです。(相性もあるので最初は必ずトライアルで。)
同じ様なマインドのママさんとも友達になって情報交換にもなるし、
ハロウィーンやクリスマスなど外国のイベントを本場の先生方と体験出来るのもちょっと素敵。
当時まだハロウィーンが市民権を得ていなかった日本で、子供達に仮装させて代々木公園に行ったのは今でも良い思い出、
スクールでお友達になった人達とホームパーティー的な事もよくやっていました。もちろん家庭教師も呼んで一緒に過ごしてもらって。
追記
セガレは『日本の教育も受けてみたい』と、大学だけ日本の学校に通いました。
大学は第二外国語で(なぜか)イタリア語を取っていたので、英語、日本語、インドネシア語、イタリア語、、
インドネシア語とイタリア語はペラペラと言うかヘラヘラ程度だと思うけど、一応4カ国語可だそうです。
またね
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